幼年期の終わり
幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341)) (1979/04) アーサー・C・クラーク 商品詳細を見る |
ネタバレしてるので読みたい人は↓
アーサーCクラークの1953年の作品。
思ってたよりも絶望的な展開に驚いてしまいました。
おそらくゲームを作っている人達でこれを読んでいない人はいないと思います。
2008年に90歳で亡くなっていますが、もし生きていたらとても喜んで
現在の状況を受け入れてくれることでしょう。
地球から出られることを何よりも喜んだのが科学者の先生方です。
ここにいても新しい真実には出会えない閉塞感は我慢出来ないものがあります。
この物語では地球の最後を描いているのですが、人間ではないオーバーロードという
姿はいわゆる悪魔をイメージさせる、鳥のように飛ぶ生き物が地球を管理します。
彼らが介入することで世界は平和になり人々は幸せに暮らすようになります。
でもそれは最後が近づいているだけのことで、人間は気づいてません。
オーバーロードもその上で管理する何者かの指令によって動いているだけで、
自分たちの仕事については深い理由を追求しようとはしていません。
悪魔の形をしたオーバーロードは人間の中からつなぎ役を選んで交流します。
この辺がちょっと理解出来ないんだけど、言葉を理解するための対策でもあり、
人間側は彼らの謎を解明したい好奇心からか普通に接するのです。
何を書いてるか分からないだろう?私も実は分からないのさ。
SFという分野はもっと重要視されても良いと思うんです。
本人が意識せずとも宗教観のようなものは滲み出てしまうし、
とても哲学的でこの作品で言えば発表から60年の間に人間は
どれほど進化してきただろうと考えさせられます。
日本という土壌ではキリスト教の影響が少ないため悪魔の姿は漫画的すぎて馴染みません。
FF13ではヴァルハラの住人は背中に羽があります。自由の象徴なんでしょうか。
ああそうか。どうして悪魔があのような姿で伝わっているかの仮定ということ。
未来を予見するアイテムの中に現在のゲームを暗示する表現がありました。
リアルと見紛うほどのアニメーションと。バーチャルリアリティの予感ですね。
おそらく当時の状況でテレビゲームの欠片も無かった時代です。
インベーダーゲームが流行ったのが35~6年前だからアイデアの段階でしょうか。
過去は未来であり、未来は過去であるというパラドクスには答えがあります。
ある一定の時間を何度も繰り返すことで過去と未来が混ぜ合わさっていきます。
自論になりますが6000年をワンクールと見て、問題をクリア出来ないとリセット。
何度も繰り返して人類の長い歴史が構築されていると考えます。
今回西暦2000年までに課題をクリアした人類は新しい一歩を踏み出しました。
例えばあらゆるSFに描かれる人類にとっての重大な不都合は、その作品が世に
出たことで解決されていったのではないかと思うほど快適になっています。
先輩たちのインスピレーションが宇宙に働きかけているのです。
そして確実にそれは存在します。「ハイペリオン」が良い例です。
今まであまり理解してもらおうとは思わなかったことも今なら少しは解ってもらう
環境が整ったと自負します。人類は自分たちの力で問題を解決できるのです。